2019-11-26 第200回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号
特に、ミッキー・カンター通商代表と橋本当時の通産大臣の交渉、橋本通産大臣、武士道をもって臨むということで、竹刀を持ったシーンと、これは非常に印象的だったなと思っております。
特に、ミッキー・カンター通商代表と橋本当時の通産大臣の交渉、橋本通産大臣、武士道をもって臨むということで、竹刀を持ったシーンと、これは非常に印象的だったなと思っております。
日米自動車交渉が、当時、橋本通産大臣とミッキー・カンターさんの間で行われた際に、口では約束したことと契約文がずれていて、結構通産省の御当局、当時通産省、今経産省ですけれども、大変御苦労があったというようなことを漏れ伝え聞いた記憶がございまして、先般、担当の北米局関係の方々から御答弁いただいたら、当時と、WTOになって大分違っているので、そういうことはないです、御心配なくという御指摘はいただきましたけれども
平成六年、村山内閣で、橋本通産大臣のもと、通商産業政務次官を任命いただきました。 平成八年からは、衆議院議員として、党バリアフリーワーキングチームの座長、労働部会長を経て、念願のバリアフリー法案の成立に微力ながらかかわることができましたことは、非常に記憶に残り、うれしく思っております。 平成十四年には、経済産業委員長に就任。
その際には、橋本通産大臣からは、原案にあった終戦という言葉を敗戦にした方がいいということを指摘した上で賛同をいただいたというふうにも聞いております。 村山政権ということではありましたが、自社さ政権下で、閣議には自民党の閣僚の方もたくさんおられて、異論が出ずに閣議決定をされたというのが当時の様子だったというふうに私も伺いました。
一九九〇年代の半ばにあったいわゆる日米構造協議のときとは随分様相が違っておって、当時は、クリントン政権下の中で、ミッキー・カンターUSTR代表が橋本通産大臣に竹刀を向けて、こういう時代でございました。
当時私は、橋本通産大臣と、このやり方を続けておったら、働く人の賃金を抑えたり下請単価をどんどん抑えるようなやり方では、結局、内需そのものを冷やしてしまって景気にとってはマイナスだ、こういう議論を行いました。 九五年の日米自動車合意の後、北米、アジア市場などに工場を進出して、今度、国内では、アジア並みの価格でやれという下請単価の押しつけが行われました、例えば韓国価格でやれとかですね。
したがって、神戸の震度七強以上のことが起こっても、これらのところについては耐えられるようにしなきゃならないんではないかということで、当時、橋本通産大臣でございましたが、その辺を申し上げました。 そうしたら、大臣の方は、設計に際しては、活断層を避け、すべての建物を最強の岩盤に固定して、想定される最大の地震動にも耐えられるような設計がされている、こういう答弁をしました。
○鮫島委員 私の記憶に間違いがなければ、当時の橋本通産大臣は、当然サーマル利用もリサイクルのメニューの一つに入れますという答弁があったように思いますが、これは私、また確認して改めて質問したいと思います。 食品リサイクル法の中でも、今の四つの分野の最後の一つは、メタンはいいですよということになっているんですが、つくったメタンはどうするんでしょうか。何に使うんですか。
かつて自動車産業、特に自由化をめぐっては相当な攻防が例えばアメリカとの間に行われて、その間に例えば橋本通産大臣が必死の交渉に乗り出したという時代もございました。また、そのとき一方で言われたのは、日本が余りにもいろんな角度から企業を守り過ぎる、もっと国際的な社会の中で自由な競争ができるようにすべきだといった、そんな議論もあったわけでございます。
苦しいときにお金を貸すことももちろん大事だし、それによって階段の踊り場で一服するようなことももちろんあるのでございますけれども、やはり基本的には、中小企業の人たちは仕事が欲しい、仕事をする腕はあるんだ、その腕が後継者難で空洞化してみたり、そんなことを情けなく思っている物づくりの名人たちは大勢いるわけで、私は、かつて橋本通産大臣当時に、通産大臣に、暇地獄という言葉を知っていますかということを申し上げたことがある
私は、九五年十二月八日、中小企業対策特別委員会の審議の中で、いわゆる業者婦人という言葉が通称使われているわけですけれども、こういう言葉はお役所の用語にはありませんで、小規模事業婦人経営者というふうにお役所では呼んでいるわけですが、その業者婦人の役割について、当時の橋本通産大臣に、その役割をどのように認識し評価をされるかというふうにお聞きをしたことがございます。
すなわち、元橋本通産大臣の御見解と全く同一でございます。
○吉井委員 私のお聞きしていることと全然ずれたことをおっしゃっておられるのだけれども、九五年十二月に問題になったのは、アジア経済研究所発行の月刊誌、ワールド・トレンド十二月号に掲載されるため企画された座談会で、学者の方たちが当時の橋本通産大臣についての発言をした、その発言が気に入らないからといって、同省OB山田勝久所長が発言部分の修正を求めたことがわかった。
「二十一世紀への日本経済再建のシナリオ」というので、これは平成七年の十月でございますから、当時、橋本通産大臣に出された報告書でございます。参考資料として配らせていただきましたものは、その中の抜粋でございます。
これは当時のこの経済構造改革を提唱した橋本通産大臣もはっきりと述べておるところでございます。 そして、先ほど申し上げました財政構造改革の最終報告案におきましても、この集中改革期間内においても優先的、重点的に整備するものとして幾つかきちんと明記をされております。
これは答弁としてお聞きすればもっとものように聞こえますが、実は、二年半前、私は全く同じ質問を商工委員会におきまして橋本通産大臣にぶつけたわけでございますが、そのときのお答えと寸分たがわない答弁なのでございます。これが日本の状況でございました。
○佐々木(陸)委員 九四年十二月十六日付の朝日の報道によりますと、閣僚懇談会後の記者会見で、橋本通産大臣が、ここまで日銀が表に出ていいのかと批判をした。大蔵省銀行局長から説明を受けたとき、発表前に相談を受けたら賛成しなかったよと言ったとも明らかにしたと報じられております。首相は当時この出資のどこに問題があるとお考えになってこのような発言をなさったのか明らかにしていただけないでしょうか。
旬日を経ずして、この商工委員会における理事として、当時の橋本通産大臣に同じ問題をお尋ねしたところ、極めて積極的な御答弁をいただきました。委員と同じ考えだというぐらいの私に対する御答弁をいただきました。
議会で質問すれば、総務庁長官は消極的である、ひとり現総理の橋本通産大臣は積極的である。 これはついこの間のことですから、もうずっと前のことなら、それは今の根來委員長のお話のとおり変化はあったろうということは理解できるけれども、ついこの間のことですから、私は随分御苦労さまなことだな、こういうふうに思うわけです。
一九九五年九月には、住民の九四%の二千数百名の要望書を当時の橋本通産大臣に提出いたしております。大淀町長も、町議会の答弁や住民集会で、ルート変更を求める住民意思を尊重すると明言いたしております。関係住民の意思を尊重する、合意や納得の上で事を進めていく、これは本当に民主主義の今の社会で当然のことですね。それを納得なしに工事を強行するということは許せぬ。
今、原産国との関係で公取問題で大臣からお話がありましたけれども、ちょうど同じように、実は現在の総理大臣である橋本通産大臣が、さらにその後をもう少し言っているのですね。
ここに対する支援策をどうするかということ、これは大変難しい問題だと思いますが、当時の橋本通産大臣も、転廃業の資金に当たるものをどう考えればよいかという点に苦慮していますという御答弁もいただいておりますので、そのことも含めて、ぜひ前向きにお願いしたいということ。